「きれいごと」 1年 今村彩乃
きれいごと。
その言葉は普段、皮肉的なニュアンスを込めて用いられます。
わたしもよく、体裁の良い言葉の奥に別の心が見えた時、「きれいごとだなー」と白けた気持ちになります。
きれいごととは要するに、きれいではないもの。
ある本で、こんな言葉を読みました。
『胸にぽっかり穴が開いたような。使い古されたその表現には、使い古されるだけの理由がある。』
妙なくらい納得してしまい、“きれいごと”に対しても、それが言われ続けるだけの理由があるんだなと思うようになりました。
マンネリはマイナスのイメージが強かっただけに、その見方はとっても新鮮でした。
そして、ふと思ったこと。
思い入れがなければ、人は体裁すら整えようとしない。
きれいごとを言うのは、そのことを少なからず心に留めているから。
わたしの今までの人生が非常に濃密で充実したものだったとは思いません。
それでも、少し安心します。
きれいごとを言えるくらいには“中身”のある人間だったんだ、と。
“きれいごと”についてもうひとつ。
まわりからはきれいごとに聞こえるかもしれないことも、本人にとっては間違いなく真実であることがあります。
例えば、今目の前の試合で勝利を掴みたいと願うこと。
その日の試合、その日の応援を振り返った時に、こんなにも屈託のない自分がいたんだと気づくこと。
ほんとにほんとに、嬉しく誇らしく思うことができるのです。
とりとめのない文章となってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。
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