2018年11月16日金曜日

「ダイバーシティおじさん」 3年 山口康平





ダイバーシティおじさん

 3年 山口康平



2016年、2月5日。僕の明治大学体育会サッカー部一日目。
一人のチャーミングなおじさんが現れ、講義をした。たしか題名は、「ボールを蹴らなくてもサッカーは上手くなる。」だった気がする。当時の僕は、素人のおじさんがおかしなことを、と鼻で笑った。

ともかくこの日から僕の明治大学体育会サッカー部人生が始まったのである。


 それから半年、僕は大けがをして手術を受ける。突然ボールを蹴ることが出来なくなった。絶望の中、僕は一つの結論に至った。サッカー以外で出来ることをやるしかない。リハビリ、仕事、応援、勉強、学校生活、とにかく考え、全力で取り組んだ。
しかし、ボールを蹴らない日々は延々と続いた。今日に至るまで、肉離れ、脱臼、靭帯断裂、半月板、ありとあらゆる怪我が僕にボールを蹴ることを許さなかった。困難を乗り越え復帰した今思うことがある。


俺、サッカー上手くなっている!!


では、なぜ僕はサッカーを上手くなったのだろうか。
その理由は複数のことに全力で取り組むことで、自分の考えや行動をアウトプットする機会が増え、さらにそれぞれの場所で学びを得ることで思考の応用を学んだからである。
要するに様々な立場で全力で取り組むことでアウトプットの機会が増え、その過程で得た、思考、発言、感情が精査を繰り返し、またさらに違う場所でそれらがアウトプットされる機会を得る。そのアウトプットを繰り返していくことで質の高い思考をできるようになったのである。その結果、サッカーにおける思考が成長して、ボールを蹴ることなくサッカーが上手くなったのだと僕は考える。

つまり、あの日のチャーミングおじさんの講義を身をもって学んだのである。


そして今サッカー以外で本気で取り組んでいることがある。1117日に行われる明治大学集中応援だ。僕だけでなく、部員たちはみんなサッカー以外にも全力で取り組み日々成長している。その姿に大学サッカーの真髄があると思うし、価値があると思う。その姿を見に是非会場に足を運んで頂きたい。
会場は味の素スタジアム西競技場、11:30 kick off予定。



 さて、あのチャーミングおじさんは誰なのか。それは、明治大学副学長、サッカー部顧問、就職キャリアセンター長、サンテリア最高司祭Babalawoという七色の顔を持つ越川芳明氏だ。越川氏はこのような複数の顔を持ち多方面に精力的に活動している、ダイバーシティおじさんなのだ。


結局何が言いたいのかというと、僕は毎日全力で大学生活を過ごしていて、担当する集中応援に来て欲しいということ。もう一つは越川氏がすごいということである。

以上、長々と最後までお付き合い頂き、有難うございました!!


P.S.越川氏がオリチャ占いの本を出版されました!こちらも是非よろしくお願いします!









【過去の記事】

2018年11月13日火曜日

「積み上げの継続と、歴史の継承」 2年 蓮川壮大




「積み上げの継続と、歴史の継承」 2年 蓮川壮大

今回、部員ブログを担当させていただきます、政治経済学部経済学科、2年の蓮川壮大です。
「積み上げの継続と、歴史の継承」
この言葉は、高校時代に所属していたFC東京U-18の佐藤一樹監督が毎試合、試合前に口にしていた言葉である。
私が今、このような恵まれた環境の下、素晴らしい監督やスタッフ、仲間と共に毎日サッカーができていることは、決して当たり前なことではないのだ。
私が所属する明治大学体育会サッカー部は、全員が同じベクトルを揃え、ピッチ内外共にどんな時でも日本一を目指し続ける組織だ。常にこのような組織であり続けられるのには理由があると私は考える。
それは、「4年生の存在」である。
練習中、私にチームをコントロールさせる為、あえて指示の声を出さない4年生。
なかなか試合に関わることができていない中、練習では100%全力でプレーし、応援では誰よりも声を出して選手を鼓舞する4年生。
今年の夏の全国大会で日本一を取った際、メンバーに入れなかった悔しさを持ちながらも、応援席のスタンドで一緒に泣いて喜ぶ4年生。
誰でも大学で4年間生活すれば、このような「4年生」になれるということは絶対にない。
入部し右も左もわからない中、先輩を真似、たくさん悩み、苦しんだ1年目。仕事を1年生に引き継ぎ、自分に多くの時間を投資できる2年目。後輩などの意見をうまく先輩に伝える橋渡し役を担い、4年生を支える3年目。多くの成功、失敗を経験し、明治大学の柱になる4年目。
この濃い、濃い4年間を毎日全力で考え、全力で行動し、全力で発信し続けることが、この明治大学体育会サッカー部の良さであり、「積み上げの継続」なのだ。
そして、後輩に多くの意見や考えを伝えていくことが、「歴史の継承」ではないだろうか。
私が明治大学体育会サッカー部に所属して、もう2年が経つ。このままいつまでも先輩の後ろ姿だけを見ていてはいけない。良いところは盗み、そして追い抜くこと。学年関係なく自分がチームを変える、チームを引っ張ることのできる存在になる。そして、私が4年生になった時に、また歴史を継承していかなくてはならない。
私はこんな明治大学体育会サッカー部が大好きで、「誇り」である。
そんな明治大学体育会サッカー部の集中応援が、今週の11月17日(土)の11:30から味の素スタジアム西競技場で行われる。
対戦相手は筑波大学。
私達の熱い戦いを是非観に来ていただきたい。



【過去の記事】
「家族の大切さ、兄の存在」1年 蓮川壮大

2018年11月8日木曜日

「誓い」 4年 渡辺悠雅







「誓い」 4年 渡辺悠雅

こんにちは。
今回、部員ブログを担当させていただきます、明治大学経営学部公共経営学科4年の渡辺悠雅です。

気付けば引退まで2ヶ月を切った。
なので、1度真面目にこの大学生活を振り返ろうと思う。

私のサッカー人生は大学に入るまで順風満帆だったと思う。そのほとんどが、自信に満ち溢れた理想的なサッカー人生だった。だから大学サッカーでも、きっと上手くいく。そう思っていた。
しかし、現実はそんな甘い世界ではなく、上手くいかない事だらけだった。
今まで、自分が1番という立場でサッカーをしていた分、なんだかんだで見逃していた部分が表れたのだと思う。
その中でもがく4年間はすごく苦しくもあり沢山のことに気付かされる日々だった。

このように振り返り今私が思うことは、明治大学体育会サッカー部の全部員が残りの期間を1日も無駄にせず切磋琢磨し、Iリーグ、新人戦、インカレで日本一を獲り、全員で笑い、喜び合いたい。それだけだ。
4年間苦しい日々だったが最後まで挑戦し続ける。どんな困難がきても仲間と乗り越え、自分を納得させるために、とにかく全員で勝ちたい。日本中のライバルたちに、そして、自分にも。
人生において勝つことや負けることなんて重要じゃないと言う人もいる。しかし、私はそんな言葉に納得などしたことないし、これからもしない。
支えてくれている人や仲間の原動力としてあり続けたいと思うならば、勝つしかない。勝つことが人の心を動かし感動させる。私は勝ってその喜びや感動を仲間と分かち合いたい。私は共に闘う人や支えてくれている人の想いを背負って闘うことを誓う。
そして、必ず日本一になる。


【過去の記事】
「自分にとってのサッカーとは」 3年 渡辺悠雅

「律すること」「感謝」 2年 渡辺悠雅

2018年11月6日火曜日

「誰かのために」 3年 森下龍矢






「誰かのために」
3年 森下龍矢


昨年の総理大臣杯は、連覇の夢を背負った大会であった。
周囲からの期待や昨年優勝校の重圧の中、我々は苦労をしながらも決勝へ駒を進めた。
試合前のミーティングで当時の4年生が語った決意を今でも覚えている。
連覇への思い、日本一への思い、同期への思い、明治への思い、四年間の苦楽。
それらは、6:00から歯を食いしばって取り組んだ朝練、厳しい一年生の仕事、16人部屋で過ごした仲間との日々、さまざまな要因から裏付けされる重みのある言葉であった。

結果は0-1、準優勝。
あちら側では法政大学の人たちが金メダルを下げながら笑みを浮かべ大声を上げている。
わたしは、法政大学に何もかもを奪われたような気がした。


あれから一年。
大阪体育大学の猛攻を必死に防ぎながら、やっとの思いでラインの外にボールを掻き出した時ふとこう思ったのである。

絶対に4年生の栄冠を奪われたくない、応援してくれている人たちの笑顔を奪われたくない、親や大切な人たちの喜びを奪われたくない、井澤さんの心からの願いを奪われたくない。

かつてのように自分のためだけにサッカーをしているわたしであれば、名誉を得るために大臣杯を"勝ち取り"に行きたいと考えたであろう。しかし、今大会のわたしは、大切な誰かの喜びを昨年のように奪われたくない、すなわち"守り抜きたい"と思ったのである。
この瞬間、自分に厳しく、妥協を許さない、戦う人間に進化したように自覚した。
自分のために強くなるのには限界があるように思える。
誰かのために戦う責任感や使命感こそが強くたくましい自分を作り上げる最大の原動力であるのだ。
この夏に得たことは日本一という結果ではない。誰かのために戦うことの重要性なのである。
応援してくれている人たちがいる限り、1つのシュートに、1本のクロスに、1つのダッシュに、かける声の一つ一つに、1秒1秒の立ち振る舞いに責任がある。
総理大臣杯が終わり2ヶ月経った今、このような責任を胸に取り組まねばならないと改めて考え直した。




【過去の記事】
「はじめてのマネージャー」 1年 森下龍矢
「成功した日は自分ミーティングを長く!」 2年 森下龍矢

2018年11月2日金曜日

「今に全力を尽くす」 4年 山上渓吾




「今に全力を尽くす」 4年 山上渓吾

こんにちは。
今回、部員ブログを担当させていただきます、明治大学経営学部公共経営学科4年の山上渓吾です。

北海道から上京してきて、あっという間に3年半が過ぎました。
大学生活では、自分の思うようにいかないことだらけで、自分の至らなさを感じるとともに、今までどれだけ多くの人に支えられて生きてきたのか、そして、今現在もどれだけ多くの人に支えられて生きているのかを痛感します。

そんな中、この明治大学体育会サッカー部で日々サッカーをし、サッカー部の仲間と過ごしていく中で気付かされたことがあります。

それは「今、一瞬一瞬に全力を尽くすこと」をしなければ未来はないということです。

先程も述べたように、北海道から上京してきて3年半が過ぎましたが、その日々は自分の思い通りにいかないことだらけです。
公式戦はおろか、練習試合にすら簡単に出場することはできません。
今までに味わったことのない悔しさを味わってきました。
下級生の頃、私はその上手くいかないことに対して一喜一憂してしまっていました。

私は考え方の優先順位が間違っていたように思います。
大学サッカーでは、特に、明治大学体育会サッカー部においては学生が主体となり、チーム全員で闘います。
「明治の勝利の為に自分は今、何ができるのか。」
試合に出場していようがいまいが、自分のプレーが良かろうが悪かろうが、関係ありません。

もちろん、1人の選手として、試合に出場したい気持ちがあります。
現状には何ひとつ満足できていないし、とても悔しい気持ちがあります。
この悔しい気持ちを持ちながら、試合に出場し活躍する為に努力し続ける。
そして、過去に起きたことに対して一喜一憂せず、とにかくチームの勝利の為に、ピッチ内外において今一瞬一瞬に全力を尽くし続ける。
それが今の私にできることだと考えています。


大好きな同期や、マネージャーを含めた部員70人でまた、夏に味わったような喜びを味わいたい。
明治の勝利の為に、また全員で喜びを分かち合えるように、残り1ヶ月と少しとなりましたが、ピッチ内外において、今一瞬一瞬に全力を尽くし続けたい。




【過去のブログ】
「サッカーができる喜び」3年 山上渓吾

2018年10月30日火曜日

「一人一人が持つ責任の大きさ」 1年 小長井崚真


「一人一人が持つ責任の大きさ」 1年 小長井崚真

こんにちは。
今回部員ブログを担当させていただく商学部商学科1年の小長井崚真です。

明治大学体育会サッカー部に入部が決まってから約3ヶ月が経った。自分が大好きなサッカーに関わりプレーを続ける為に、厳しい環境に身を置き生活のリズムなどに戸惑いを持ちながらも必死に喰らいついてる状態である。

部の活動の中で、一年生はサッカーだけではなく仕事を任されている。それはサッカー選手としてだけではなく、一人の人間として成長するために行っているものである。人間として成長することは、明治が掲げているポリシーの中の一つの要素であり非常に重要なことである。チームから任された仕事をしていく中で、私は一人一人がそれぞれ持つ「責任」の大きさを痛感している。仕事を任されているということはこういうことなのだろうと感じた。自分自身が与えられた仕事を確実にこなす事が出来なければチームに影響を与えてしまう。これは社会に出てからも同様であり、このような経験をする事で自分自身の責任感の持ち方やその大きさを学ぶことができ、今後の役に立つと考えている。
そして、この時間を大切にする事が自身の人間力の成長にもつながり、その成長がサッカーの成長にも繋がると信じてこれからも活動をしていきたい。

まとまりのない文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。


今後とも明治大学体育会サッカー部を宜しくお願い致します。

2018年10月26日金曜日

「人生の分かれ道」 2年 力安祥伍



「人生の分かれ道」2年 力安 祥伍



こんにちは。
今回部員ブログを担当させていただく文学部演劇学専攻2年の力安祥伍です。

人生には二つの道しかない。

これはアインシュタインが遺した言葉だ。

私はこれまでいろいろな選択肢の中で選択をしてここまで歩んできた。その中でも分岐点となった2つのturning pointがある。

1つ目は徳島から広島に転校したことだ。親が転勤族ということもあり度々転校してきたが、小学6年生の秋に徳島から広島に転校して私の人生は変わった。私自身、転校する前は中学校に通い部活に入るということが楽しみであった。だが、広島では部活ではなくサンフレッチェ広島の下部組織に入団させていただきサッカーだけでなくさまざまなことを教えていただいた。

2つ目は明治大学体育会サッカー部に入部したことだ。単純に大学進学すると決めた時にその年の明治大学が総理大臣杯で優勝していた為、日本一のチームに行きたいと思い練習に参加させてもらった。その時の衝撃は忘れることはない。1人1人が手を抜かず学生が主体となって負荷の高いトレーニングを朝の6時からやっているその現状を目の当たりにしてここでなら成長できると思ったのを今でも覚えている。

これまで20年生きてきて、いくつもの選択を重ねてきた。まだまだこれから人生の中で選択を迫られるだろう。人生とは後悔の連続であり、ここに書いた2つのことだけではなく何十、何百通りと選択してきて今がある。「もしこうしてたら」や「あの道に進んでおけば」など思う時も何度もあった。だが自分が選んできた道に正解はないし誰にもわからない。私に出来ることは今何が出来るかを考え行動しその決断を自信を持って良かったと言えるような人生にすることだ。

人生には二つの道しかない。

一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。
もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きること。

まとまりのない文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後とも明治大学体育会サッカー部を宜しくお願いします。


【過去の記事】

「私の歩み」1年 力安祥伍

「ダイバーシティおじさん」 3年 山口康平

ダイバーシティおじさん  3年 山口康平 2016 年、2月5日。僕の明治大学体育会サッカー部一日目。 一人のチャーミングなおじさんが現れ、講義をした。たしか題名は、「ボールを蹴らなくてもサッカーは上手くなる。」だった気がする。当時の僕...