2018年7月6日金曜日

「運」 2年 佐藤凌我



「運」 2年 佐藤凌我


こんにちは。
今回、部員ブログを担当させて頂きます。
政治経済学部2年の佐藤凌我です。

「運」それは人の意思や努力ではどうしようもない偶然の巡り合わせを意味する。
「ラッキーだった」「もってる」などは誰もがよく耳にするフレーズである。

これらは本当に偶然なのか。
私は必然だと思う。

スタンフォード大学のクランボルツ教授の提唱する『Planned Happenstance Theory (計画的偶発性理論)』という考え方にこのようなものがある。
「人のキャリア(職業)は計画して決まるわけでなく、予期しない偶然の積み重ねで決まってゆく。よって、予期せぬ出来事をいかに自分にとってチャンスにするかが大事。」という考え方だ。

先日行われた全体ミーティングで浦和レッドダイヤモンズに内定している主将の岩武さんも同じことを話していた。実力だけでは先のステージには行けない。転がってきたチャンス(運)をいかに自分の物にするかで人生は大きく変わるのだと。

南米では「運」を擬人化するとその人は前髪しかないそうだ。
その運を捕まえるにはすれ違う時に前髪を掴むしかなく、通り過ぎてしまったらもう捕まえることはできない。ただ、捕まえようと最高の準備をしている人にはなかなか近づかず、気を抜いている人の横を通り過ぎて行くのだ。

いかに自分が準備していようとも少しの気の緩み、油断でチャンスを逃してしまう。
この少しの差がチャンスを掴む人との大きな違いではないか。
よって、運がいい人とは偶然ではなく、必然に運を手繰り寄せているのだと思う。

ただ悲観して、他人任せに何かを待っていても、ラッキーなことは起きるはずもなく、自分からアクションを起こさないとチャンスは訪れない。
自発的に。粘り強く。そして柔軟に。
このような姿勢を根付かせることができたら誰にでもチャンスは訪れるに違いない。あとはそのチャンスを掴むだけの力を身につける必要がある。

昨年の夏、トップチームに怪我人が続出した為、公式戦に出場できるチャンスが巡って来た。ただ、その公式戦の後から私が試合に出場することはなかった。
チャンスを掴むだけの実力がなかったのだ。

運とは自分の予測のできないところで手に入るものだが、実力とは日々の積み重ねであり、一朝一夕で手に入るものではない。

チャンスは掴んだら離すな。その為にできることを毎日考え、地道に継続することが実力をつけることの近道ではないか。


最後に、明治大学体育会サッカー部とは部員60人全員がいつどんな場面で自分にチャンスが巡ってきてもそのチャンスを掴む為の最高の準備をしている。その60人の中でも1番、運を引き寄せ掴むことのできる選手になりたい思う。

まとまりのない文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後とも、明治大学体育会サッカー部を宜しくお願い致します。


【過去の記事】
「No soccer,No life」1年 佐藤凌我

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