2018年11月6日火曜日

「誰かのために」 3年 森下龍矢






「誰かのために」
3年 森下龍矢


昨年の総理大臣杯は、連覇の夢を背負った大会であった。
周囲からの期待や昨年優勝校の重圧の中、我々は苦労をしながらも決勝へ駒を進めた。
試合前のミーティングで当時の4年生が語った決意を今でも覚えている。
連覇への思い、日本一への思い、同期への思い、明治への思い、四年間の苦楽。
それらは、6:00から歯を食いしばって取り組んだ朝練、厳しい一年生の仕事、16人部屋で過ごした仲間との日々、さまざまな要因から裏付けされる重みのある言葉であった。

結果は0-1、準優勝。
あちら側では法政大学の人たちが金メダルを下げながら笑みを浮かべ大声を上げている。
わたしは、法政大学に何もかもを奪われたような気がした。


あれから一年。
大阪体育大学の猛攻を必死に防ぎながら、やっとの思いでラインの外にボールを掻き出した時ふとこう思ったのである。

絶対に4年生の栄冠を奪われたくない、応援してくれている人たちの笑顔を奪われたくない、親や大切な人たちの喜びを奪われたくない、井澤さんの心からの願いを奪われたくない。

かつてのように自分のためだけにサッカーをしているわたしであれば、名誉を得るために大臣杯を"勝ち取り"に行きたいと考えたであろう。しかし、今大会のわたしは、大切な誰かの喜びを昨年のように奪われたくない、すなわち"守り抜きたい"と思ったのである。
この瞬間、自分に厳しく、妥協を許さない、戦う人間に進化したように自覚した。
自分のために強くなるのには限界があるように思える。
誰かのために戦う責任感や使命感こそが強くたくましい自分を作り上げる最大の原動力であるのだ。
この夏に得たことは日本一という結果ではない。誰かのために戦うことの重要性なのである。
応援してくれている人たちがいる限り、1つのシュートに、1本のクロスに、1つのダッシュに、かける声の一つ一つに、1秒1秒の立ち振る舞いに責任がある。
総理大臣杯が終わり2ヶ月経った今、このような責任を胸に取り組まねばならないと改めて考え直した。




【過去の記事】
「はじめてのマネージャー」 1年 森下龍矢
「成功した日は自分ミーティングを長く!」 2年 森下龍矢

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